FIKA.Blog

#005「謎の男」

依頼人 / 花崎探偵事務所

朝、事務所で準備をしていると、誰かが扉を叩いた。

– まだ営業時間前やのに。

入り口を見ると見慣れない男が立っていた。

「すんませんね。」

40歳前後、レザージャケットの下にシルクのような生地の派手な赤いシャツを着ている。
手には封筒のようなものを持っていた。

男は入ってくるなり事務所内を見回し、それから薫に目を向けた。

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「薫ちゃんか、大きなったな。」
「え?」

思わず男を凝視した。
– なんでうちの名前知ってんねやろ?

次の瞬間、「あっ」と声が出そうになった。母の告別式の日、後ろの席にずっと座っていた男だ。

– お母ちゃんの知り合いやろか。

「薫ちゃん、16年前のこと覚えとるか。」
「16年前…?」
「思い出してくれ。」

男が契約に関する書類に記入している間、給湯スペースでお茶を入れながら、さっきの会話を反芻していた。

16年前ということは、薫が小学6年生の時だ。
薫にはその頃の記憶があまりない。

火事の現場に居合わせ怪我をしたことが原因で、軽い記憶障害を起こしたらしい。
薫の額にはその時にできた小さな傷跡があった。

お茶を持って来客スペースを覗くと、さっきまでそこに座っていたはずの男が消えていた。
テーブルの上には名前の欄だけが記入された書類と、男が持ってきた白い封筒が置いてあった。

” 近藤 剛 ”

名前を見てもやっぱり心当たりはない。

封筒の中には2枚の写真と古びた手帳が入っていた。
高台から撮影したような大小の建物、ホテルの正面にいる男女。
写真を見た瞬間、なぜか心がざわついた。

ホテルの入り口部分の、特徴的なアーチのデザインに見覚えがあった。
つい先日、浮気調査のために撮影した駅前の老舗ホテルのものだった。

もうすぐ山咲とまどかが来る時間だ。

薫は写真と手帳を封筒の中に仕舞った。
しばらく個人的に調べてみることにした。

失踪 / ホテルの朝食会議会場(大阪)

1時間半ほどのミーティングが終わり、蒼は関西支社の部課長とともに挨拶を済ませ、ホッと一息ついた。
海外事業に関しては、シンガポールのグループ企業と共同プロジェクトを立ち上げることに決まった。

本社の役員と話し込んでいた本部長の三船貴子が、青い顔をして近づいてきた。

「神谷君、あの人がいなくなったわ。」
「えっ?」

貴子によれば、夫である社長の三船茂が替え玉を使って姿を消したらしい。

茂には前科があり、その時は3日後にふらりと戻ってきたが、貴子と社長室長がどうにか事態を収めたようだ。
もしこの失踪が貴子の実の父親、三船清会長に知られれば大事になる。

「探偵を雇うわよ。」
貴子が言った。

ベーブ・ルース / 探偵事務所近くの公園

『花崎探偵事務所』をちらりと覗いてみたが、訪ねる勇気は出なかった。
史子の娘、薫の後ろ姿が見えた。

社長室長の中村には大阪に行くと伝えてきた。
もしかしたら貴子が薫の元へ行くかもしれない。

公園の隅の方にホームレスの住処と思われる場所があった。

「あんた、新しい人?それやったらリーダーにお伺い立てなあかんで。」
ボロボロの作業服を着た男が話しかけて来た。彼はここの”住人”らしい。

「とりあえず今日寝る場所だけあればええと思てるんですけど。」
「ベーブ・ルースに聞かな。」
「ベーブ・ルース?」

一瞬頭の中で疑問符がついたが、どうやらそのリーダーのあだ名のようだ。

奥のテントから男が出て来た。
白髪混じりのヒゲ、黒いつなぎに阪神タイガースの法被、白い地下足袋、NYヤンキースの帽子をかぶっている。

奇抜な服装の方に気を取られたが、その男の顔に見覚えがあった。
ギョロッとした大きな、印象的な目。それに対して他のパーツは小ぶりでどこか幼い。
男がその目をさらに大きく見開いた。

「お前、しげちゃんか?しげちゃんやないか!?」
「監督?」

男は30年以上も昔、野球部でお世話になった監督だった。


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